VOCALOID


Guilty





 季節は夏真っ盛りである。


 時間は丑三つ時。マスターはいつものように音楽室で精密機械類に埋もれながら、がくぽの歌のデータ調整をしたり曲のうち込みなど色々としていた。ヘッドフォンをしながらの作業だったので、それに気付くのに少々時間を要した。

 すっかり眠ってしまったと思っていたがくぽが枕を持って音楽室のドアの前に立っていたのだ。
「マスター、暑いでござる…」
 いつもはきちんとした身なりで作法にうるさいがくぽもこの熱帯夜に負けたのか、ぐちゃぐちゃに着崩れた浴衣と乱れた長い髪の毛。犬の様に舌を出してはぁはぁと呼吸を荒げていて、全身で「暑いんだ!」と叫んでいる。
 ちなみに、この家にエアコンが設置されているのは居間とこの音楽室、そしてマスターの自室。がくぽが寝室として使っている部屋にはエアコンどころか窓もない密室なのだ。
「うっわ、見てるだけで暑い〜!」
「他に言うことはないのかマスター…私とて精密機械なのだぞ」
「風呂に入れる精密機械なんて知ーらなーい」
 マスターはがくぽの様子が可笑しくてたまらなくてけらけらと笑い続けている。がくぽはうぐぐと目尻に涙を浮かべ、恨めしそうな顔をしてそんなマスターを睨みつけている。


 気が済んだのか、マスターは笑うのをやめて、がくぽの側により頭をポンポンと撫でてさらりと言った。
「俺の部屋で一緒に寝るか?」
 ほよっ、と一瞬言われた意味が分からなかったがくぽはきょとんと目を丸くして何も言えずにぼけっとしていた。
「もう俺も作業終わりにするし。ベッドは大きめだからそんなに狭くはないと思う」
 機械類の電源を片っ端から落としていき、マスターはエアコンと照明のスイッチも切って枕を抱えているがくぽの手を引いて音楽室から出る為にドアを開けた。
 動こうとしないがくぽにまた問う。
「がくぽ、俺と一緒に寝るのか?寝ないのか?」
 妙に真剣な口調で迫られて、がくぽは一瞬びくりと身体を震わせた。
「あ…では、お言葉に甘えよう…」
 マスターはにっこり笑って、がくぽの手を引いて自分の部屋のドアを開ける。主がずっと別室に居た為、熱気を孕んだ空気が室内からドアの外へとむあっと広がった。マスターは部屋に入り、小さなガラステーブルの上に置かれていたエアコンのスイッチを入れると、部屋には涼しい風が吹き出す。


 その涼しさに惹かれてドアの外に立っていたがくぽはすすっと室内に入ってきた。それを確認すると、マスターは部屋のドアを閉めてがくぽの背中をポンと押すと、その勢いでがくぽの体勢がぐらりと傾いでころんとベッドの上に転がってしまった。

 ベッドの上に横たわるがくぽ。その姿は音楽室の時そのままで、浴衣も髪の毛も乱れまくっていて、少し上目がちで不安げな紫の瞳がこちらをじっと見ている。

(ぐあっ…!なんか、すげぇ官能的だぞ…)

 相手は男とはいえ心の底では惚れた相手。この状態で欲情しないのは健康的な男子としてはどうなのか。マスターは悶々としながらも表面では「何でもないよ」という空気を出してがくぽにこの欲望を知られない様に細心の注意を払って、自分もベッドに転がる。ダブルベッドなのだけれども、そこそこの体格の男が2人並んで寝るとなると少しだけ窮屈な感じがする。肩や足がほんの少し触れ合うだけでくすぐったい。
「…マスター」
 定位置が決まったがくぽがぼそりとマスターを呼ぶ。
「何だ?」
 マスターはがくぽと身体を並べてしまったことによって、ますます悶々とした気持ちが大きくなってしまっていた。
「額にちゅーをしてはくれぬか?」
 そういって、背中合わせの体勢だったがくぽはくるりと身体の向きを変え、今のがくぽの目に入るのはマスターの背中だった。
「がっ…!どっ、どうしたいきなり」
 こっちはお前とあんなことこんなことできたらいいなと、いや出来る距離なんだからしてしまえと悪魔と天使が喧嘩して声に出来ない気持ちを膨らませてしまっているのに、なんでそんな可愛いことをお願いしてくるんだとマスターはつーっと冷や汗をかく。
「私が我が儘を言ってしまったから、その、怒ってはいないかと思って…」
「いや、怒ってなんかないさ。言い出したのは俺だし」
 そうマスターが答えても、こちらを向いて目を見て言ってもらえてない。それががくぽをとてもとても不安にさせた。本当に許してもらえているのか。それを測るのはいつも褒められた時にマスターがしてくれる「額にちゅー」という行為だ。だからがくぽはそれを望んだのだ。
「本当か?それならば…」
 そう言ってマスターのシャツの裾をきゅっと摘むがくぽにマスターの理性は限界寸前、がくぽの手を振り切る様にマスターも体勢を変えてがくぽと向かい合わせになる。やっと目と目が合ったがくぽがほっと安心した顔つきを見せると、マスターはがくぽの額の髪の毛を掻き分けてそっと唇を寄せた。


「がくぽ。正直言うと、俺は限界だ」
 突然のマスターの言葉はがくぽには理解出来ない。せっぱつまったような言葉尻に不安になる。自分を置いておくことに限界を感じたのだろうか。マスターにとって自分は重荷にしかなれなかったのであろうか。そんなことががくぽの頭の中でグルグルしてた。
 しかしマスターが放った言葉は全く方向が違うものだった。

「このまま、がくぽを抱きたい」

「え…え?マスターがそう言うなら…こうか?」
 がくぽはずずっとマスターの懐に入り、身を縮めて丸まって「ぬいぐるみ」状態になる。

「って、違う!お前分からないのか。あー分かる様に言ってやる。夜伽だ、夜伽っ!」
 マスターは「ぬいぐるみがくぽ」を自分の身体から離して、肩をがしっとつかんで軽く揺すると、がくぽが夜伽という単語に反応して表情を固くした。
「なんと…やはりマスターは男色家であったのか…!」
「それも違う!俺の名誉の為に言う、別に俺は男が好きな訳じゃない。そこは普通に女が好きだ。俺の中でがくぽだけが特別なんだ、異端、規格外、なんでもいい」
 長い告白の台詞を言い切ったマスターはぜーはーと肩で呼吸をする。その真剣な表情から、がくぽはこの人の言葉は嘘ではないと思った。相手が嘘を言っていないのならば、こちらも嘘をついてはいけない。
「私もマスターのことは色々な意味で特別な存在だ。ただ、そういうことを求められて、私が応えられるかは分からない。私は歌う為に作られた"VOCALOID"だから。それでも、それでもマスターが私を望むのならば、私はその気持ちに応えたいと…思う」
 少し伏し目がちにそう答えるがくぽの頬を、マスターはそっと撫でる様に触れる。マスターは自分の口唇をがくぽのそれに重ねた。


 そういえば、初めてマスターと会った時にもこんなことがあった、とがくぽは思い出す。あの時は驚いたのと気持ち悪くてマスターを突き飛ばしてしまったけれど、今は嘘の様にその行為を受け入れられる。マスターと過ごす日々の中で、自分も気付かぬうちに変わったのだろうか。


 マスターの唇が離れて、ぎしりとベッドのスプリングが鳴る。気がつけばマスターはがくぽを組み敷いていた。全身で感じるマスターの重みががくぽにそれが現実のことだと伝えている。
「がくぽ」
 耳元で名前が囁かれ、くすぐったくてがくぽは僅かに身を捩る。マスターはするりとがくぽの帯を解き、元々ぐちゃぐちゃだった浴衣をその身から剥がしていく。
 がくぽは何をしたらいいのか分からないので、マスターのされるがままになっている。またマスターの口唇が重ねられて、がくぽはそれに応える。先程した接吻とはまったく違う、深い深い接吻。マスターの舌ががくぽの舌にねちっこく絡み付きがくぽの口内を犯す。
「…ふあっ…」
 空気を取り込む為に呼吸をしたら、自分でも聞いたことのない声が零れた。とても恥ずかしいものの様に思えてがくぽは顔を赤く染める。マスターは満足げに微笑んで、口付ける場所を少しずつ下へとずらしていく。その度にがくぽから艶かしい喘ぎ声が漏れる。
「この声を聞けるのはマスターの特権かな」
 そうしてマスターは夢中でがくぽの身体を貪った。もちろん、がくぽが辛くない様に配慮を欠かさずに。暗闇の中で欲望にまみれてしなるがくぽの身体はとても美しかった。





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