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DRAMATIC?





 居間の壁に下げられた簡素なカレンダー。いつもなら別段気に留めないがくぽだったが、今日は違った。
 今日の日付は赤いマジックで書かれた大きな花丸がつけられていたからである。しかも花丸がつけられているのにその理由は何も書かれていないのだ。
「マスター、今日は何かあるのか?」
 がくぽはその花丸を指差して忙しげに外出の準備をしているマスターに問う。
「えーあー、それな、今日ほら俺出かけるから、その印」
「…何じゃ、クラス会とやらがこんなにも楽しみだったのか」
 マスターは、高校のときのクラス会で今日は昼過ぎから家を空ける。がくぽを連れて行くことも考えたが、懐かしい顔ぶれが集まってわいわい酒を飲んだりするところに部外者のがくぽを連れて行っても構ってやれないし、2人の関係をあまり突っ込まれても困るし、がくぽは男女問わず口説かれそうでそこが一番嫌だった。


 ということで、がくぽには申し訳ないが留守番を頼むことにしたのだ。
「それじゃ、遅くなると思うけど戸締まりと火の始末は気をつけろよ」
「分かったから心置きなく楽しんでまいれ、マスター」
 まだ何か言いたそうなマスターだったが、一見優しく見えるがくぽの笑顔に早く行けという氷の如く冷たい雰囲気を感じたので、さっさと家を後にした。

 がくぽはそれを手を振って見届けると、家の中へと戻る。マスターが散らかしながら出かけていったので、まずはそれを綺麗にしようと衣類をマスターの部屋へ持ち込む。マスターの部屋は今はがくぽの寝室でもあるので見慣れているが、ここもやはり色々なもので散らかっている。
「…掃除をした方が早いな」
 しかし、自分の部屋に置いてあるものを他人に触られたくない人もいるだろうし、実際片付けると言ってもがくぽも何をどこに置いたらいいのかの判断がつかない。服はクローゼットの中にとりあえずきちんとしまって、後はゴミであると確実に判断出来るものをゴミ箱にいれ、散乱した雑誌は室内にある小さなテーブルの上に重ねて置いて、ベットメイキングをするとかなり見違えた様になった。納戸に行って、マスターが床掃除をする時に使っているのをみたことがあるフローリング用モップを取り出してきてマスターの部屋の床を磨いてみれば面白い様に埃が取れてすっきり。窓を開けて空気の入れ替えをすれば、なんとまあ見違えることよ。
「私もやれば出来るではないか!」
 マスターはがくぽを猫っ可愛がりして家事に関してはあまりやらせていなかったのである。掃除は指示を貰いながらでも手伝いしてきた方なので何とか無事にこなせた。レベル的には小学生クラスの掃除だが、初めは皆こんなものだ。


 すっきりしたがくぽは一息つこうとお茶の時間にすることにした。ごそごそと冷蔵庫から一口大に切り分けられた水ようかんとペットボトルのお茶を取り出して居間の座卓に置いてテレビをつける。ちょうど大好きな時代劇の放送時間だ。
 ペットボトルのお茶をがくぽ専用の湯呑みにそそいで一口つける。もうそんなに気温も高くならなくなった季節だが、冷たい飲み物はがくぽの身体に染み入る様に流れ込んでいく。本来ならばきちんと急須でお茶を入れたいところなのだが、マスターから火を使うことを禁じられた。電気ポッドがあれば便利なのだが、あいにくとこの家にはそんな気の利いたものは置いていなかった。
「今度マスターにおねだりせねばな。茶はやはり茶葉を使い急須で入れた方が美味しい」
 もぐもぐと水ようかんを頬張りながら、がくぽはゆったりとした一人の時間を満喫していた。





 マスターの方もクラス会が始まり、懐かしい旧友との交流を深めていた。まあ、高校一年生の時のクラス会なので進級してから全く交流がなくなったとしてもまだ10年かそこらであるが、小さな赤ん坊を連れてくる女性がいたり、知らない間にクラスメイト同士で結婚していたりと皆身の回りが変わっているようだった。
 マスターの隣に座った男性がビールをコップに注ぎながら話しかけてきた。
「よう、久し振りだなぁ」
「あ、ああ」
 マスターは、確かこいつの名前は福田だった、と思い出して返事をする。
「福田は今何してんの?」
「平凡なサラリーマン、営業は辛いぜぇ〜。お前は?」
「俺は…仕事は何もしてない。趣味で音楽作ったりしてる」
「趣味?仕事にしねぇの?」
「そんな大層なもんじゃないから。プロに聴かせたら笑われるよ」
 そう言ってビールを口にするマスターに、福田はふーんと目の前に並べられたつまみの刺身を一切れをぱくりと食べる。
「変わんないねぇ、そういうところ」
 そう言って福田は飲み干したグラスを手にして別の人のところへ行ってしまった。


 空いた隣に、すぽっと今度は女性が座る。彼女の名は加藤さんだ。そう思って加藤さんの横顔をみていると加藤さんがその視線に気付いてマスターと目を合わせた。
「加藤さん、久し振り。元気そうだね」
 加藤さんは笑って、ほぼ空になっていたマスターのグラスにビールのお酌をしてくれた。
「真面目なクラス委員長だった加藤さんがこんなに綺麗になるなんて思わなかったな」
「あら、ありがとう。そうね、うちの学校校則厳しかったからおしゃれとか出来なかったものね。おさげで制服姿じゃ綺麗な子だってみんな同じに見えるよね」

 加藤さんはマスターと一緒に学生時代のあれこれを語る。2人は図書館(学校所有の図書館で、図書室とは呼べないほど蔵書が豊富)の常連だったとか、定期テストの順位争いをしていたとか。
「まあ、この年になれば少しは変わるわ。そうそう、聞いておこうかしら。君、クリスマスの辺りの予定は?」
 加藤さんは突然横に置いていたハンドバッグから手帳を取り出してシャープペンシルを構える。
「何かあるの?またクラス会?」
 マスターは笑いながらそう茶化す。実は今回のクラス会の幹事はこの加藤さんだ。

「ううん、結婚式」

「へー結婚式…って、加藤さん結婚するの!?」
 晩婚化が進む昨今でも、20代半ばで伴侶を見つけられる人は多いのだ。そういえば、加藤さんの左手の薬指には、綺麗な小粒のダイヤモンドの指輪がはめられている。来年にはこれが結婚指輪になるのだ。
「もしかして出来ちゃった婚?」
「失礼ね!…って言っても、最近はそう言われても仕方がないほど多いものね。名誉の為に私は違うわよ。ただ、旦那…彼の仕事の都合で、来年早々海外に転勤になるのよ。だから日本にいる間に式をしなきゃって両親達が焦っちゃっててね」
「それでクリスマス辺りになった訳か。でも人気あるんじゃないの?クリスマス辺りって」
「そうなのよ。だから籍だけまず入れて、転勤の任期が終わって帰ってきてから式をしたっていいじゃないって私達は言ってるんだけど」
 ただでさえ転勤の準備もあるのに結婚式の予定まで入れられてはかなわないと心底うんざりした顔を見せる加藤さんだが、本心ではそんな親心を有り難く思っているに違いない。そしてキラキラと変わる未来へ期待に胸を膨らんでいることも。今の良くも悪くも変わらない毎日を送っているマスターに加藤さんはとても輝いて見えた。
「今のところ予定は特にないから、俺」
 さらりと言うマスターに、今度は加藤さんが驚いてみせる。
「彼女いないの?クリスマスだよ?彼女より昔のクラスメイトの結婚式を選択していいの?」
 マシンガンの様に畳み掛けられる加藤さんからの質問に、マスターはぼんやり考えてみた。がくぽにとって初めてのクリスマス。しかし、がくぽがクリスマスと言う行事をどう考えているのかは分からない。一般的に言われる「イエス・キリストの生まれたことを祝う日」と恋人達がいちゃつくことがイコールになっているとは限らない。いや、イコールにさせるのはマスターの役目だ。

 自分次第で、がくぽの対応だって変わっていく。

「ま、予定が出来たらちゃんと欠席で出すからさ」
「まあ、君がそう言うならそれでいいわ。でもイベントごとに騒がない彼女さんは淡白な人ねぇ」
 学生時代に淡白なタイプの女の子だった加藤さんに言われてしまうとは。そして加藤さんはその話が済むとまた違う人の元へ行ってしまった。


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08/09/01

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