自分自身を顧みればマスターだって淡白な人間だ。こんなことでもなければ高校の時のクラスメイトと触れあうことなど自ら進んではしない。 がくぽが自分の元に来てから、それまでの自分ではないくらいに悩んで喜んで苦しんで、やっと普通レベルの人になったんだと思う。 なんだ、がくぽのことを育てているなんて思い上がりで、実は自分が一番がくぽの影響で変わっているじゃないか。 ふと腕時計を見ると時計の針はもう22時を回ろうとしている。 がくぽは家で一人で何をしているのだろう。自分がいないから好きなだけテレビにかじりついているだろうか。音楽室でこの間渡した新曲の練習をしているだろうか。そういえば例のものは、きちんと家に届いているだろうか。がくぽに言伝けていったけれど、ちゃんとやり取り出来ただろうか。 「…あー!だめだ」 マスターはがたりと席を立って、加藤さんを捕まえ適当な理由を言って家に帰ることにした。その際いろいろ野次られたが「悪い、また今度」とぺこぺこ頭を下げてクラス会の会場を抜け出して家に向かう。 息を切らせてピンポーンと家のチャイムを鳴らすと、ガタガタっと大きな音がしてからインターフォンのスピーカーから大好きな綺麗な声が聴こえてきた。 「このような時間に、どのような用じゃ」 「マスターのお帰りです。開けてよがくぽ」 かちりと鍵が開けられた音が聴こえたと同時にマスターは扉を勢い良く開けて玄関にいるであろうがくぽに飛びついた。前に急に飛びつくなとがくぽに言われたけれど、どうしても身体がそう動いてしまうのだ。 「たっだいまー!」 「…おかえりなさい、マスター」 酔っているせいだと言い訳を用意してから、がくぽの艶やかな唇を奪う。しかし、ビール味のキスは大変不味いものだったらしく、がくぽは涙を浮かべて台所でうがいを始めた。 「おっ、ちゃんと受け取れたようだね」 座卓にはちょんと、20cm四方の白い箱が置かれている。台所から戻ってきたがくぽにおいで、と呼び寄せると、マスターはその白い箱を開けた。 箱の中身は、ごく普通のホールタイプのショートケーキだった。一番小さいサイズで作ってもらったのだが、2人で食べるには十分だろう。がくぽの口紅のような赤い苺がふんだんに使われていて甘ったるいというよりは甘酸っぱい香りが部屋に充満する。 「ケーキとかいう洋菓子じゃ。そうか、この香りはこれのせいだったのか」 がくぽは和菓子は食べても洋菓子は滅多に食べない。スーパーで置いてあるシュークリームだの小さなカットケーキくらいは目にしたことはあるが、こういう丸い形をしているケーキを見るのは初めてだった。 「食べるぞ!…ナイフ、ナイフ」 マスターは着ていたスーツを脱いでいつものTシャツにジーンズ姿になると、大きく伸びをしながら台所で果物ナイフを探してきた。 「マスター?なぜ突然ケーキなのじゃ。いつもなら私は…」 「いーからいーから。がくぽは人間は記念日にケーキを食べてお祝いするって知ってる?」 「はぁ…そういうのは、テレビで見たぞ。確か、おたんじょうびおめでとうとか言っておった」 「まあこれは誕生日じゃないんだけど。がくぽが俺と出会って丁度1ヶ月目なの、今日」 「そうであったか。それでケーキでお祝いするのじゃな?」 何も言わないマスターだが、きっとあのカレンダーの花丸はそう言う意味でつけられたものなのだろう、とがくぽは思った。 マスターはケーキにナイフを入れようとした時に、ふと加藤さんを思い出した。来年には彼氏が旦那様になる彼女。才女だったから、海外に行っても言葉に困ったりはあまりしないだろう。 「がくぽ、こっち来て。ナイフ一緒に持って」 はてな?と首を傾げてがくぽは言われた通りにマスターの横に座り、マスターの手の平に包まれる様にナイフの柄を握った。 「じゃあ切るぞ、ゆっくりな」 2人で上からナイフがケーキの中を沈んでいくのを無言で見ていた。そっと引き抜くと、ケーキは崩れることなく歪ながらも二分された。 「マスター、今のはどういう意味じゃ?」 マスターは一口分フォークでケーキを掬いとると、がくぽの口の中に放り込む。 「結婚する2人が一番最初にする共同作業が、ケーキ入刀って言ってすっごい大きなケーキを切ることなんだよ」 「ふむ?でもこれはこんなに小さいが」 「大きさの問題じゃないんだよ」 マスターは口の周りを生クリームで汚してるがくぽの頬をぺろりと舐める。そのまま口の周りまで舐め始めて、そのまま深い口付けまで進めてしまった。 「…どうした、今日のがくぽは大人しいな」 そうして2人はぎゅうと抱き合う。がくぽがこんなに積極的なのは珍しい、やはり寂しかったのかなとマスターは思った。 「ご不満か?泣いて叫んだ方がいいならそうするが」 「いやいや、大人しいがくぽが好きです」 嘘。 笑って、泣いて、怒って、歌って。駄々をこねたり拗ねてみたり、そうして自分と一緒に生きていってくれるがくぽが何よりも一番大好きです。 「マスター、毎月こうやってケーキを食すのか?」 幼い子どもの様に慣れないフォークをなんとか使ってケーキをもぐもぐ頬張るがくぽが尋ねてくる。毎月恒例にしてもいいけれど、だんだんマンネリになるはず。こういうサプライズはたまにだからこそ効くのだ。 あっ、とケーキを食べていてマスターは思い出した。 「がくぽ、クリスマス知ってる?」 「12月25日に何かあるのか?」 やはりがくぽにはその程度の知識しか入ってないことが分かった。マスターは現代におけるクリスマスの過ごし方(特に日本の恋人達の)を教えてやると、がくぽはちょっと頬を赤く染めてみせた。 「ま、マスターがそういうのがいいなら…クリスマスに私も付き合ってやらんこともないぞ」 これでマスターの加藤さんの結婚式へは残念ながら欠席が決定したが、嬉しくてにやけていたらがくぽに「だらしない!」と一喝されてしまった。 それでも幸せなんだから、仕方ないじゃない。 |